すっきり楽しく暮らしたい

映画、読書、ご飯、お出かけの記録。時々、世の中に小さな毒を吐きます…

僕たちは希望という名の列車に乗った

ドイツ映画
「僕たちは希望という名の列車に乗った」を観てきました。

久々の文化村にて。

ここ、18歳の時に初めて訪れてましたが
相変わらず年齢層が高くて、澄ましたシニアのご夫妻が多い。
あれから20年以上経ちましたが
まだここでは、私はだいぶ若者です。笑


それはさておき、映画の中身。


各国のナチスユダヤ人迫害に関する映画は
今まで何十と観てきましたが
今回はその後の東西冷戦時代のお話です。


ベルリンの壁が突如作られる5年前、
まだ東ドイツから西ドイツへ列車で移動ができました。

とはいえ、列車の中では身分証を提示
西へ行く目的を伝えて許可されなければいけない。

ソ連支配下にあって、社会主義を掲げる東ドイツ
アメリカの支配下にあって、自由、民主主義を掲げる西ドイツ。


もとは一つの国、同じ若者たち。
東の若者達は、列車で訪れた西側で
自由に映画を楽しむ若者たちとなんら変わりはないはずでした。


その映画館で西側のニュースを観たのをきっかけに、感化された若者たち。

ニュースは、当時彼らと同じくソ連支配下にあった、ハンガリーの民衆蜂起を伝えていた。

亡くなった人達に捧げた、教室でたった2分の黙祷。


これが国の役人、さらに教育大臣までに話が及んで、彼らの家族までを巻き込んでいく事態に。

ただ純粋に、若者たちが、国は違えど命をかけて戦った同じ若者を悼んだ、それだけの出来事。


それを汚い役人達が、親世代の戦争の負の遺産の証拠を持ち出したり
あの手この手の卑劣な手段を使って、生徒たちの連帯を引き離そうとする。


西か、東かなんて自分たちが選んだわけじゃない。
過去の戦争は、たくさんの爪痕を戦後を生きる若者たちにも残してしまっていました。


私が印象的だったのは、酒場で若者たちがソ連兵の集団に悪ふざけでナッツを投げて
追いかけてきたソ連兵につかまるシーン。

彼らの年齢を聞いた後に、若いソ連兵が言った言葉。

「俺は21歳だ。好きでここにいるんじゃない」

これが彼らと同じ、若者たちの本心。

過去の負の遺産に振り回されているのは
国は違えど同じなんだなと。

改めて感じました。
どんなことがあってもやはり、繰り返してはいけないなと。


平成が終わり、令和になり、
平成以降生まれの若者は、ベルリンの壁が崩壊したのをリアルタイムでは知らないわけで。

私もきちんと記憶してるわけではないけれど
あーこんなに簡単に壊れる壁だったのか、と子供ながらに思いました。

壁を作るのも壊すのも本当は簡単。

でも、壁が生んでしまった東西の格差や、離れてしまった感情の隙間を埋めるのは簡単ではないことだったはず。


今回の東側の若者たちは、西側に行かざる得なくて行くわけだけど
そこは希望が叶う場所だった、それが救いでした。


最後に、、

なぜ縁もゆかりもないドイツの、特にナチスユダヤ人迫害の映画を見続けるのか。

正直なところ、私にもよくわからないんです。
観るのはつらいことだし。

でも観なきゃならないと思って、いつのまにか足を運ぶ自分がいます。


卒論も、ユダヤ人について書きました。
文学より文化について書きたいと思ったくらいで、なぜそれを選んだのかも覚えてない。

不思議なことです。

前世で関係があったのかしら。

そんなスピ的なことは置いておいて
きっとこれからも観続けると思います。



ここからは戻って、映画館での話。

映画館のスタッフにトイレの場所を訪ねる、とある老夫婦。

もちろん映画館の中にトイレはあるんです。
個室も決して少なくはない。

たまたま隣のスクリーンで映画を見終わった人達で混んでたらしい。

館の外のフロアにもトイレはあると案内するスタッフに、いちゃもんをつける夫。

カウンターでコーヒーを買ったら
今度はそこの店員さんに偉そうな態度でまたいちゃもんをつける夫。

側から見てても嫌だなーと。何様なんだと。

失礼ながら、映画の中に出てくる、偉そうな役人と少し重なりました。


こういう老人にはなりたくないもんです。
老人に限らないけどね。



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